FXで負けが続いていると、こんなことを考えてしまうことはないでしょうか。
「今の手法が自分に合っていないのかもしれない」
「もっと勝率の高い手法があるんじゃないか」
「このインジケーターを追加したら、もう少し精度が上がるんじゃないか」
「他のトレーダーが使っている方法も試してみよう」
私自身、何度も同じことを繰り返してきました。
手法を探す。
時間足を変える。
インジケーターを追加する。
新しいトレーダーの発信を見る。
教材を探す。
そして、また別の方法が気になる。
当時の私は、それを「勉強している」と思っていました。
でも、今振り返ると、少し違ったのかもしれません。
私は、「今のやり方で大丈夫だ」と思える安心を探していたのだと思います。
それが、私にとっての「聖杯探し」でした。
FXで勝てないと、なぜ手法を広げてしまうのか
負けが続くと、人は原因を探したくなります。
これは自然なことだと思います。
なぜ負けたのか。
何が悪かったのか。
どこを直せばいいのか。
そして、その答えを探しているうちに、
「もしかしたら、手法そのものが悪いのでは?」
という考えが出てきます。
すると、別の手法が気になってきます。
「この人は勝っているらしい」
「このインジケーターは精度が高いらしい」
「この時間足なら、もっと分かりやすいらしい」
そうやって、一つだった選択肢が二つになり、三つになり、気づけばいくつもの手法を比較するようになります。
本人としては、いたって真剣です。
遊んでいるわけでもありません。
「何とか勝てるようになりたい」
「これ以上お金を減らしたくない」
「家計の足しにできるようになりたい」
そんな気持ちがあるからこそ、調べる。
だから私は、昔の自分を単純に「聖杯探しをしていたダメなトレーダー」とは考えていません。
むしろ、真剣だったからこそ、広げてしまったのだと思っています。
聖杯探しは「楽をしたいから」ではなかった
「聖杯探し」という言葉には、どこか、
「簡単に勝ちたい人」
というイメージがあるかもしれません。
でも、私自身はそうではありませんでした。
むしろ、かなり勉強していました。
本を読む。
動画を見る。
チャートを見る。
検証する。
トレードを振り返る。
それでも負ける。
すると、
「まだ何かが足りない」
と思ってしまう。
そして、また探す。
この繰り返しです。
今思えば、私が探していたのは「絶対に勝てる手法」そのものではなかったのかもしれません。
「この方法なら大丈夫だ」と思わせてくれるものを探していたのだと思います。
負けたとき、
「この手法が悪かった」
と思える。
新しい手法なら、
「今度こそ」
と思える。
そうすると、一時的には少し安心できます。
ところが、次の手法でも負ける。
すると、また別のものを探す。
こうして聖杯探しが終わらなくなっていきました。
一つの手法を掘り続けるのが苦しい理由
では、
「一つの手法を決めて、それだけを検証すればいい」
と言われたら、簡単にできるでしょうか。
私は、かなり難しいと思っています。
なぜなら、一つに絞ると逃げ場がなくなるからです。
同じ形を何度も検証する。
同じような場面で負ける。
勝率も思ったほど高くない。
それでも続ける。
すると、
「やっぱり、この手法はダメなんじゃないか」
という気持ちが出てきます。
一方で、新しい手法を見つけると、
「これならいけるかもしれない」
という期待が生まれます。
この差は大きいです。
一つを掘る作業は地味です。
成果もすぐには見えません。
しかも、負けることもあります。
だからこそ、新しいもののほうが魅力的に見えてしまう。
これは、私自身が何度も経験してきたことです。
人が探しているのは「勝てる手法」より「安心」なのかもしれない
私は今、聖杯探しの正体は、
「楽をしたい」
という気持ちだけではないと思っています。
むしろ、
「これをやっていれば大丈夫だ」と思いたい
という気持ちのほうが大きかったのではないか。
そう考えています。
例えば、
「このインジケーターなら大丈夫」
「この先生についていけば大丈夫」
「この手法なら負けにくい」
「この相場なら絶対に取れる」
そんなものが見つかると、少し安心できます。
でも、相場はいつも同じ動きをするわけではありません。
どれだけ期待した手法でも、負けることはあります。
そこで、
「この手法でも負けるんだ」
と受け入れることができればいい。
でも以前の私は、なかなかそうできませんでした。
「もっと良い方法があるはず」
と考えて、また探してしまう。
だから、聖杯探しは終わらなかったのだと思います。
手法を広げるほど、自分の負け方が分からなくなる
ここは、私が後になってかなり重要だと思ったところです。
手法Aで10回トレードした。
手法Bで8回。
手法Cで5回。
さらに時間足もバラバラ。
通貨ペアもバラバラ。
こうなると、
「自分はなぜ負けたのか?」
が分かりにくくなります。
Aが悪かったのか。
Bが悪かったのか。
そもそも環境認識が悪かったのか。
エントリーが悪かったのか。
損切りが悪かったのか。
それとも、自分のルール違反だったのか。
原因が見えなくなります。
そして、原因が分からないから、また新しい方法を探す。
この繰り返しでした。
私はこれを、
「努力しているのに、前に進んでいる実感がない状態」
だと感じていました。
情報は増えている。
知識も増えている。
でも、自分のトレードはシンプルにならない。
それどころか、どんどん複雑になっていく。
もし今、
「いろいろ勉強しているのに、なぜか判断に迷う」
という状態なら、少し情報を増やすのを止めてみてもいいのかもしれません。
私自身、「まだ知らないことがある」と思って情報を集め続けていた頃がありました。
でも、情報が増えるほど判断基準まで増えてしまうことがあります。

「一点を掘る」と、少しずつ見えてくるもの
私が少しずつ変わり始めたのは、
「新しいものを探す」ことより、
「今あるものを掘ってみる」
ことを意識するようになってからでした。
もちろん、これも簡単ではありません。
同じことを繰り返す。
負ける。
検証する。
また負ける。
それでも続ける。
すると、少しずつですが、
「この形なら自分は判断できる」
「この場面は見送ったほうがいい」
「ここは自分の得意なところではない」
という感覚が育ってきます。
勝率が急に跳ね上がるわけではありません。
でも、
他人の手法が以前ほど気にならなくなる。
これは私にとって、大きな変化でした。
以前なら、
「この人はこんなところで入っている」
と見るだけで、自分のトレードにも取り入れたくなりました。
でも今は、
「なるほど。でも、自分が狙っている形とは違うな」
と思って終われることが増えました。
それだけでも、かなり楽になりました。
そして、手法を広げることと、エントリーを増やすことは、実はつながっていました。
「せっかく動いているのだから取りたい」
「自分の手法ではないけれど、今回はいけそう」
そんな気持ちが増えると、ポジポジ病にもつながっていきます。
私自身も、以前は「もっと入ればチャンスを拾える」と考えていました。
でも、実際には逆でした。
余計なトレードを減らすことで、ようやく自分のトレードが見えるようになっていったのです。

聖杯を探すことをやめるのではなく、自分の軸へ戻る
ここで、一つだけ伝えておきたいことがあります。
私は、
「新しい手法を勉強してはいけない」
と言いたいわけではありません。
新しいことを学ぶこと自体は、悪いことではありません。
問題は、
「負けたから新しいものを探す」ことが習慣になっていないか
ということだと思います。
負ける。
不安になる。
新しい手法を探す。
少し安心する。
また負ける。
また探す。
もしこのループになっているなら、一度立ち止まってもいいのかもしれません。
「今の自分には、何が足りないのだろう?」
ではなく、
「今の自分は、何を増やしすぎているのだろう?」
と考えてみる。
これは、私にとってかなり大きな視点の変化でした。
そして最近は、トレードそのものだけでなく、
「自分の頭の中に、余計な判断材料が増えていないか」
を時々整理するようにしています。
すでにいろいろな手法を知ってしまった人ほど、一度「足す」ことから離れてみる。
そんな棚卸しについては、最近こちらの記事にもまとめました。

今回の記事が「なぜ広げてしまうのか」を考える記事だとすれば、こちらは「広がってしまったものをどう整理するか」という記事です。
それでもまた手法を探したくなったときに
正直に言えば、私も今でも、
「もっといい方法があるんじゃないか」
と思うことがあります。
人間なので、たぶん完全になくなることはないでしょう。
大切なのは、
そう思ったことと、実際に手法を変えることを同じにしないこと
なのだと思います。
「もっといい方法があるかもしれない」
と思う。
でも、
「だから今の手法を捨てよう」
とは限らない。
この間に一呼吸置けるだけでも、以前とはかなり違います。
そして、
「今の自分の手法で、十分な検証をしただろうか」
「負けたから変えたいだけではないか」
「単純に、今のやり方で負けるのが嫌になっていないか」
と、自分に問いかける。
それでも本当に見直す必要があると判断したなら、その時に改めて考えればいい。
少なくとも、
「負けたから、次を探す」
だけは、できるだけ繰り返さない。
私はそこを意識するようになりました。
私が聖杯探しの先で見つけたもの
私は長い間、
「勝てる手法」
を探していました。
でも、今振り返ると、探していたものは少し違ったのだと思います。
本当に欲しかったのは、
「これを続けていけばいい」
と思える自分自身の軸だったのかもしれません。
それは、誰かから渡されるものではありません。
誰かの手法をそのまま使えば完成するものでもありません。
自分で検証して、
負けて、
考えて、
修正して、
また試して。
そういう時間の中で、少しずつ自分の中にできてくるものなのだと思います。
だから私は今、
「聖杯を見つけた」
とは考えていません。
むしろ、
聖杯を探し続けなくてもいいところまで、自分のトレードを絞ってきた
という感覚のほうが近いです。
そして、これは「もう迷わない」という意味でもありません。
迷うことはあります。
他人の手法が魅力的に見えることもあります。
それでも、
「自分はこれをやる」
と戻れる場所がある。
それだけで、以前よりずっと楽になりました。
聖杯探しを繰り返した時間も、無駄ではなかった
ここまで聖杯探しについて書いてきましたが、私は過去の自分を否定したいわけではありません。
手法を探した。
教材を買った。
いろいろなトレーダーを調べた。
インジケーターも試した。
時間足も変えた。
たくさん遠回りしました。
でも、その経験があったからこそ、
「自分には、これは必要ない」
と言えるようになったものもあります。
だからもし今、
「また手法を探してしまった」
「また情報を集めてしまった」
「自分は何をやっているんだろう」
と落ち込んでいる方がいたら、あまり自分を責めなくてもいいのではないかと思います。
真剣に勝ちたいと思っているからこそ、迷うことがあります。
ただ、そこで終わらず、
「じゃあ、もう一度自分の軸に戻ってみよう」
と思えればいい。
広げてしまったら、戻ればいい。
私自身、何度もそうやって戻ってきました。
そして今も、時々戻っています。
最後に
FXを始めた頃の私は、
「まだ何かが足りない」
と思っていました。
だから、足しました。
知識を。
手法を。
インジケーターを。
情報を。
でも、ある時から、
「もしかすると、足りないのではなく、増えすぎているのかもしれない」
と思うようになりました。
そこから少しずつ、減らすようになりました。
そして最後に残ったものを、何度も検証する。
負けたら考える。
でも、すぐに別のものへ逃げない。
今の私が大切にしているのは、そんな地味な繰り返しです。
もし今、
「もっと勝てる手法を探さなければ」
と思っているなら。
その前に一度だけ、
「今の自分には、もう十分すぎるほど材料があるのではないか」
と考えてみてください。
新しい答えを探すのではなく、
すでに持っているものの中から、
「自分が本当に続けたいもの」を一つ選ぶ。
それが、聖杯探しの沼から抜け出すための、最初の一歩になるのかもしれません。
私自身、聖杯探しを繰り返していた頃には、まさか最後に必要になるのが「新しい手法」ではなく「今あるものを絞ること」だとは思っていませんでした。
そして、そこにたどり着くまでには、かなり遠回りしました。
もし、
「じゃあ、具体的にどうやって今のトレードに絞ったの?」
「なぜ私は、ようやくトレードで崩れにくくなったの?」
と思っていただけたなら、次の記事も読んでみてください。

私がいろいろなものを足し続け、遠回りした末に、ようやく「自分の軸に戻る」という考え方を持てるようになるまでの過程を書いています。
聖杯を見つけた話ではありません。
むしろ、聖杯を探し続けた私が、なぜ探すことをやめられたのかという話です。
今、手法探しに疲れている方にとって、何か一つでも参考になるところがあれば嬉しく思います。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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