先日、郷里である金沢市へ、1泊2日で帰省してきました。
今回はトレードの話というより、日常の延長線にあるような雑談です。
金沢に着いて、まず最初にすること。
父方と母方、両方のお墓参りです。
家庭の事情は過去にnoteで詳細をつづったのでここでは深く触れませんが、仕事でのもめごとをきっかけに、結果として家族とは絶縁という形になっています。

跡取りとしての務めを果たすことができず、こうなってしまったことへのお詫びと、「離れた場所でなんとかやっています」という報告。
毎回、そんな思いで手を合わせています。
そのあと、母の実家へ。
今回は母の姉たちやいとこも集まっていて、久しぶりににぎやかな時間になりました。
当然、実の母には帰省のことは伝えていません。
というか、伝えるすべがもうありません。
どこかで、実家の様子が少しでも分かれば…という思いもありましたが、そこにつながる話は出ず。
むしろ、実家と親戚との関係もほぼ途絶えている、という現状を知ることになりました。
少し寂しさはありましたが、それでも食卓を囲んで昔話をする時間は、不思議とあたたかいものでした。
そんな中で、印象に残った言葉があります。
二つ年上で誕生日も同じ、兄のような存在のいとこが、ふとこう言ってくれました。
「俺はお前の実家のこと、親のことも見てきたから、いろいろあって岐阜に行ったのはもちろんわかるけど、今幸せならそれでいいんじゃないか。それもまた運命なんじゃないかな」
特別な言葉ではないのかもしれません。
でも、妙に心に残りました。
たぶん私たちは、「こうあるべきだった過去」に、思っている以上に縛られているんだと思います。
本来ならこうなっていたはず。あのときこうしていれば。
そんな“もう存在しない世界”に、意識が引っ張られる。
トレードでも似たようなことがありますよね。
「こう動くはずだった相場」に固執した瞬間、視野は一気に狭くなる。
でも現実は、今この瞬間しかない。
今どこに立っていて、ここからどうするか。
「今幸せなら、それでいい」
この言葉は、過去を無理に肯定するというよりも、“今を基準にしていいんだ”と、そっと許してくれるような響きがありました。
もうひとつは、花の師匠との再会です。
生け花の基礎を叩き込んでいただいた、草月流の先生。
御年95歳。
認知症を患われていて、お弟子さんが生活を支えておられます。
年齢相応の変化は確かにありました。
それでも、お会いするとやっぱり元気をいただける。
言葉以上に、その人が積み重ねてきたものが伝わってくるような、そんな感覚です。
※以前、先生にお目にかかった時も、貴重なお話をお聞かせいただきました。
その時の記事はこちらです。
今回、私が話したのは仕事のこと。
大きな組織に移ったことで、以前よりチャンスが大幅に減ってしまった、という話をしました。
そのとき先生が言ってくださったのが、
「私も何もないところからここまで来たんやよ。その時々で出会った人とのご縁を大切にしていけば、必ず道は開けていくから。もちろん、変な人でないか見極めは必要やけどね」
どこかで聞いたことがあるような言葉かもしれません。
でも、不思議と軽くは受け取れない。
たぶん、経験を通して磨かれた言葉だからだと思います。
トレードも同じで、知識として知っているだけのことと、自分の中に落ちていることって、まったく別物ですよね。
一度でも腹落ちした言葉は、迷ったときにちゃんと支えになってくれる。
ご縁を大切にすること。
シンプルだけど、軽く扱えないテーマだなと、改めて感じました。
美味しいものを食べられたのももちろん良かったんですが、
こうして心に残る時間や言葉に触れられたこと、それが今回のいちばんの収穫だった気がします。
また日常に戻ります。
日中は本業、帰宅後は猫達の世話をしつつ夜な夜なチャートに向き合う、いつもの生活です。
正直、すぐに何かが変わるわけでもないんだと思います。
でも、こういう時間を挟むことで、ほんの達しだけ視点が整う。
過去に引っ張られすぎず、
今ある場所で、できることをやっていく。
そして、出会う人やご縁を、雑に扱わないこと。
……まあ、うまくできるかは分かりませんが。
少なくとも今回は、そう思えた帰省でした。
またいつもの日常の中で、忘れたり、ズレたりするんでしょうけど。
そのたびに、こういう時間を思い出しながら、少しずつ修正していければいいのかなと。
とりあえず、背筋だけは伸ばして。
そんな感じで、またやっていきます。
本日も、お読みいただき、ありがとうございました。


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