今日は、少し変わった話をさせてください。
トレードの話のようで、そうではない話。
でも最後には、きっとトレードにつながっていく、そんなお話です。
私にはこれまでの人生で、「不思議な力を持っている」と感じた方との出会いが二度ありました。
そのうちの一人目のことです。
当時の私は、公私ともなかなかしんどい時期の中にいました。
うまく言葉にできないような苦しさを抱えていて、どこか息苦しさを感じながら日々を過ごしていた、そんな頃です。
そんな時に、知人の紹介で出会ったのが、その方でした。
名前と生年月日を書いた紙と写真を渡すと、
その文字に手をかざしながら、何かを感じ取るように言葉を紡いでいく。
健康状態や人柄、過去の出来事、そしてこれから起こりうること。
どれも不思議なくらい、静かに、でも芯を捉えているように感じられました。
印象に残っている出来事がいくつかあります。
一つは、お見合いのお話があった時のことです。
少し話しただけで、「この人は仕事で成功していく人だろうな」と、そんな感覚を持ちました。
性格はすさまじく激烈で勝気。織田信長かと思うような気性の女性でした。しかし不思議と話していると楽しいし、もし一緒になれば、仕事上のパートナーとしても強力な方だ、そんなことも頭もよぎりました。
ただ同時に、気になる部分もあって…。
その違和感は、実は、その人の病気と寿命に関する事柄でした。
そのことには触れずに、相性を見てもらったところ、
返ってきた言葉は、やはり核心に触れるようなものでした。
詳しく書くのは控えますが、「ああ、そういうことだったのか」と、静かに腑に落ちたのを覚えています。
また別の出来事もあります。
当時、少し苦手に感じていた取引先の幹部の方がいて、
ある日、その方を車で送迎することになりました。
正直、気が重くて仕方がなかったのですが、
その話をすると、その方は「これを車に入れておくといい」と、いくつかのアドバイスをくれました。
半信半疑ではありましたが、その通りにしてみたところ、
驚くほど穏やかな時間になりました。
あの方がこんなに機嫌よく過ごされるんだ、と少し拍子抜けするくらいで、
何事もなく目的地に到着しました。
そして、もう一つ。
家族のことで、とても印象に残っている話があります。
私の妹のことです。
妹は、うつ病を抱えていました。
そのこと自体もつらいものでしたが、さらに不思議だったのは、その発症のタイミングでした。
その方に見ていただいたとき、こう言われました。
「発症には、ある節目が関係しているように見える」
よく振り返ってみると、
自ら命を絶った祖母の三回忌や七回忌といった節目の時期に、症状が出ているようでした。
さらに、もっとさかのぼった話として、
おそらく江戸時代の頃、ご先祖が多産で、子どもを間引いていた可能性があるとも言われました。
正直なところ、どこまでが事実で、どこからがそうでないのか、私には分かりません。
ただ、その時の私は「何かできることがあるならやってみよう」と思いました。
市内で指定されたお寺に通い、おはらいをしていただき、
その後も数年間、毎月足を運びました。
(別に何かを交わされたり、高額のお布施をしたりしたわけではありません)
結果として、妹の発症は落ち着いていきました。
もちろん、これが直接の原因だったのかどうかは分かりません。
たまたまだったのかもしれませんし、別の要因があったのかもしれません。
ただ、その一連の流れは、私の中に静かに残り続けています。
また、その方からはこんなことも言われたことがあります。
「あなたには、前世で縁があった女性がいて、今もあなたに幸せになってもらいたいと思って見守っているように感じる」
こういう話は、受け取り方が難しいものだと思います。
私自身も、最初はどこか半信半疑でした。
ただ、あとから振り返ると、「あれはそうだったのかもしれない」と思える出来事が、いくつかありました。
一つは、交通事故になりかけた時のことです。
前を走るタクシーが急ブレーキをかけ、
気づくのが一瞬遅れた私は、慌ててブレーキを踏みました。
距離的にもスピード的にも、「ぶつかってしまうかもしれない」と感じたのですが、
なぜか、そのまま止まることができました。
もう一つは、雪道での出来事です。
岐阜に来て間もない頃(融雪装置ボケとなっていたことの裏返しで)、圧雪ででこぼこした雪道の危険性をすっかり忘れていた私は、
いつもの感覚でアクセルを踏んでしまいました。
交差点を抜けた先は、日陰でたくさんの雪が残るカーブ。
タイヤを取られ、車が浮くような感覚になりました。
「あ、危ないかもしれない」と思ったその瞬間、
不思議と車体は壁を避けるように動き、そのまま何事もなかったように通り抜けることができました。
これらの出来事をどう捉えるかは、本当に人それぞれだと思います。
偶然と考えることもできますし、
何か別の力が働いたと感じることもできるかもしれません。
どちらが正しいのかは、正直、私にも分かりません。
ただ、ひとつだけ感じていることがあります。
あの方は、「目に見えているもの」だけを見ていたわけではなかった、ということです。
表に現れている出来事ではなく、
その奥にある流れや背景のようなものに、静かに目を向けていたように感じました。
これって、トレードにも少し似ている気がしています。
チャートに映っているのは、価格の動き。
ローソク足やインジケーターの形。
もちろん、それも大切な情報です。
でも、それだけを追いかけていると、どこか苦しくなってしまうこともある。
私自身がそうでした。
形を覚えて、手法を探して、
「こうなったらエントリー」という答えを探し続けていた頃は、
なかなかしっくりこなかったんです。
もしかすると、見るべきなのはその一歩奥なのかもしれません。
「なぜそう動いているのか」
「その裏にどんな心理があるのか」
そういう部分に、少しずつ目を向けていくこと。
それができるようになると、
同じチャートでも、少し違って見えてくることがあります。
昔の私は、ずっと“表面”ばかりを追いかけていました。
でも、あの頃の体験を思い返すと、
大事なのは「何を見るか」よりも、「どこを見ようとしているか」なのかもしれない、と感じています。
後編では、もう一人の方の話をしようと思います。
その方は、今回とはまったく違う分野で力を発揮されている方でした。
けれども、不思議と通じるものがありました。
分野は違っても、根っこの部分は似ているのかもしれません。
そのあたりを、トレードのマインドと結びつけながら、もう少しだけ深く掘り下げてみたいと思います。
もし今、
「何かが噛み合わない」と感じているとしたら。
やり方そのものではなく、
見ている場所を、ほんの少しだけ変えてみる。
それだけで、景色がやわらかく変わることもあるのかもしれません。
本日も、お読みいただき、ありがとうございました。

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