結婚記念日の度に思い出す苦しかった過去
昨日は妻との10回目の結婚記念日の食事でした。場所は、挙式をあげた市内中心部にある欧風レストラン。ただ、結婚当初の私は本当にどん底の状態で、精神的にも不安定な状況が続いていたと思います。
その最大の理由は、家業が、ある出来事で苦境に立たされ、最終的に実の家族と絶縁となり、嫁の住む土地に移り住むことになったからでした。
跡取り息子として、花屋で生き残るべくいろいろな手を講じていたものの、やがて、新たな借金をしての業態転換を求める創業社長の父が、母と共に私に強く同意を求めるようになり、親子関係に深刻な亀裂が生じました。しかしながら、たたき上げで厳しい父に対して、正面切って押し返せない私を不憫に思い、今度は妻が私の両親と激しく対立。激しいやり取りの応酬があった末、最終的には、妻をとるか親をとるかの二者択一の状況に…。当時私は、長きにわたる婚活の末ようやく入籍したばかり。40歳も越え、とてもじゃないけどまた一からの婚活を始める気持ちになれませんでした。それに加え、私自身も、私を育ててくれた家業だからこそ後を継いで頑張ってきたのに、今更関係のない商売(観光客向け飲食業)を、何の戦略も、経験も、アドバンテージもない状態で始めることは、私の人生の”たとえ相手が親兄弟であっても誰にも譲れない部分”を、両親に明け渡すこと(=自分の人生ではなくなる)と思え、過去に仕事や私生活で何度か両親の意向に従ってきたことも相まって、今回ばかりはどう考えても従えませんでした。
変則的な披露宴
実家を出る決意をした私ではありましたが、過去の記事でも述べたとおり、FXトレードとのかかわりは、まだ郷里にいて、家業の苦境を何とかしたいと思っていた頃に始まったものでした。ただ、自分=仕事と考えて生きていたため、家業を離れることは、体の一部を失うような、筆舌に尽くしがたい苦痛があり、半年以上、突然涙が止まらなくなるなどの激しいショックがありました。そうした精神状態も影響してか、冷静に考えたら非現実的なのに、両親と絶縁になっても、FXで稼いだら、なんとしても親を助けたいといういびつな使命感のようなものがあり、移住後も、常に、これではいけない、もっと稼がねば…との焦燥感ばかりでトレードを続けていました。実は、郷里にいたころからそうした焦燥感は激しく、いつしか結婚資金にも手を付け、FX以外の情報商材も含め、色々実践する中で資金はみるみる底をつき、本当に無一文に近い状態となっていました。それらを知ってか知らずか、妻の両親が支援をしてくれ、妻の側の親戚だけを招待した、変則的なスタイルの披露宴を行うこととなりました(誤解のないように補足しておきますと、私自身郷里の親戚とは良好な関係にあり、単に距離的な理由で声をかけませんでした)。そんなこんなで、妻の側の親戚からは温かく迎えられ、新天地での生活が始まったのでした。
今思えば…考えられる、トレーダーとしての転機
長い長いトンネルを抜け出せなかった私のトレーダーとしてのキャリア。それがどのように上向いたかは、過去の記事で言及しました。ただ、技術的なことや一般的なことにとどまらぬ、私特有の転機というものが、こうした私のお家騒動に隠れていたように思います。
親戚を通じて、両親・実家の動向は間接的に伝わってきてはいました。私がもともといた商店街で、両親が私のことをどのように言っているのかも伝わってきていました。ひどいものでした。悲しく、腹立たしく、もどかしいものでした。ただ、あのころ、どう決断し、行動するのが完ぺきな正解だったかは、いまだにわかりません。わからないということは、最初から唯一絶対の正解などなかったのかもしれません。51:49みたいな、本当に僅差の決断だったとしか思えず、何度頭の中でシミュレートしても、答えにたどり着けないまま、苦しい思いだけがフラッシュバックしていました。
しかし、幾つかの諦めがつくような情報が私の耳に入り、ああ、本当に、もう二度と復縁はできないんだなと、踏ん切りがつくようになってきました。言い換えれば、そうしたお家騒動と、その結果私が置かれた状況はすべて、”神様のお与え”だったのだと…。とそれに伴って、なんとしても稼がねば、という焦燥感の源が断たれ、いわば、”稼がねばならぬ理由”が消滅していきました。著名なトレーダーの中には、全損などのどん底を味わい、稼ぐことに絶望して、稼ぐことをあきらめてから、稼げるようになったという話を聞いたことがあります。
私は、全損こそありませんが、軍資金の3/4を一気に失ったことがあります。その時、上述したような、稼ぐことを諦める心境となりました。それに加えて、実家との関係性に伴う、”稼ぐ理由の消失”、という特殊事情が相まって、少なくとも、お金に対する欲が極度にそぎ落とされた状態となったことが、トレード時の力みや焦りを不要とし、結果として自然体でチャートを見ることにつながったと思います。 私の師匠がかつて、”入金したお金はどぶに捨てたと思え、そして、画面上に表示される金額は、何かのポイントだと思え”、と言っていました。それが本当に腑に落ち、そう思えるようになったのは、そのようにして欲を手放すようになれてからだったように思います。そのように考えてみると、何か強烈な出来事があって、お金に期待しなくなった状態というのは、トレーダーにとって、かえって良いパフォーマンスを出しやすい精神状態なのかもしれません。
本日も、お読みいただき、ありがとうございました。
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